日本統治下の1897年に台湾に初めて保育園が設立されて以来、台湾では保育園教育を中心に学齢前幼児研究が徐々に展開してきた。その後、1945年の終戦を境にして、台湾は日本・日本語による統治から、中華民国・中国語/北京語による支配へと変化した。これにともなって台湾における使用言語は多様になり、台湾本来の住民が使用する原杜民旅語・客家語に加えて、日本語や中国語/北京語が台湾に広がっていった。具体的には、戦前は日本語を公的に使用しつつも家庭では原注民族語・客家語・福老語が母語として使用され、戦後は中国語/北京語を中心にしながら、家庭では日本語・原住民族語・客家語・福老語のいずれかが母語として使用されていた。したがって、どの言語を母語として常用するかによって、各家庭の生活文化には多少の違いがみられた。戦後の台湾の変化は言語生活の面にとどまらず、他のさまざまな面でも社会変容が起きた。経済成長を成し遂げる一方で、政治改革や教育改革も盛んに行われた。とくに戒厳令が解除された1987年以降は、台湾のアイデンティティを追求する風潮が高まった。2つの改革で重要な課題のひとつとされたのが「母語尊重」であった。これは、台湾の主体性を確立するための政策にほかならず、「郷士言語教育」として教育課程に組み込まれるに至った。また、1970年代後半から、東南アジア女性を中心にした「新移民」が台湾に移入しはしめたが、この移民問題も戦後の台湾の教育を考えるうえで見逃せない。
[Pick Up]
保育士専門学校の詳細
http://www.seitoku.jp/kttcsu/