明治五年は小学校の義務教育制度が制定されるとともに、学童の「朝の歯磨き」キャンペーンが実施され、保健衛生概念の普及を「しつけ」という形で推進していた。維新政府は、石鹸と歯磨きによる洗浄行為を通じて「清潔」感を国家レベルで普及させ、新しい時代の到来を打ち出そうとしたのである。この明治五年にはドイツ医方の「西洋歯磨」や「開化香油」といった、文明の息吹を標榜する名称の歯磨と香油が発売され、また、香水「桜水」が発売とともに新聞広告に登場した。香水の文化は、洋装の普及と社交界のしきたりとともに需要が急激に高まるが、明治一六年の第一回舞踏会、そして同年一一月の東京市麹町区元薩摩藩屋敷跡(現在の帝国ホテル隣大和生命ビル)に建設された鹿鳴館の完成は、上流界に香水文化を普及させる大きな契機となった。翌一七年から、毎週月曜日に鹿鳴館の夜会が開催され絢爛豪華な洋装と髪形の夜会巻(束髪)が流行し、併せて香水の魅惑的な香りが人々を魅了するようになる。化粧品産業に対する明治政府の殖産興業への期待は、蘭学の中でも化学分野を志す人たちに寄せられた。その中の一人に薬剤師の福原有信がいた。福原は、明治五年九月銀座に資生堂薬局を開業、わが国初の洋風調剤薬局としてスタートさせている。資生堂薬局開業の九月一二日(太陽暦一〇月一四日)は、東京の新橋と横浜の間二九キロを鉄道が開通、鉄道記念日となった日であり、天皇陛下ご乗車のお召し列車が時速三二・八キロで往復し記念式典が開かれた。後に、日本における産業復興の基盤として、大動脈の役割を果たすこととなる。その基点となった汐留駅はかつては貨物専用駅として栄えたが、現在は汐留再開発の地で、そのたたずまいを残している。
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